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1: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:36:31 ID:34a
まず、弥生時代が始まる紀元前10世紀頃に朝鮮半島から北九州に稲作が伝わって全国へと広まっていく
計画的な稲作の為にリーダーと一定の土地、そして水が必要になる
主に川沿いなどにムラが形成される訳やな
そして、水や土地や余剰生産物を巡ってやがて争いが起こる訳やな
武器の出土状況から争いは弥生前期にはまず北九州で争いが起こってることがわかり、弥生中期には西日本、そして東日本でもムラ同士が戦うようになる
その頃には小規模な環濠集落が各所につくられて、その内ちょっとずつ統合が進んでいく訳や
"
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2: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:38:20 ID:RCH
縄文土器と弥生土器どっちが好き?

 

38: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:04:56 ID:srX
>>2
芸術性なら縄文
亀ケ岡土器とかめちゃくちゃカッコイイのが発掘されてるぞ

 

3: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:39:47 ID:8Vq
この間ヤマト政権の所在判定に役立つ証拠がどうたらららぁ

 

4: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:41:22 ID:34a
で、第二段階
小規模な環濠集落は解体してクニと呼ばれる規模の大きい集団が出来上がる
中国の史書に別れて十余国を為すだとか出てくる状態や
九州~関東にかけてそういう状態になるのが紀元前1世紀頃のことや
例えば北九州の奴国や伊都国なんかが良い例で、出雲や伊勢なんかにもある程度の勢力が成立し始める訳や

 

5: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:41:52 ID:34a
ま、ここまでは教科書にも載ってるわりかし退屈な内容やんなあ?

 

6: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:42:51 ID:34a
で、結局後の大和王権はどうやって出来上がるのか
そこが問題や

 

7: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:43:07 ID:foi
倭国大乱とかいうロマン溢れる時代

 

8: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:43:19 ID:Iei
イッチ先生の授業いつも眠くなるなぁ

 

10: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:45:22 ID:Dlw
皇紀を真面目に当てはめると縄文時代になるからそこんとこは触れない方がええね

 

11: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:45:44 ID:34a
紀元前1世紀、最も政治・経済・文化的に最も優位にあったのはどこや?
大陸と交流しやすい北九州や
具体的には奴国が当時の覇権やな
今の福岡市のあたりや
んで、当時、必需品と成りつつあったのに自然に手に入らないのは何や?
鉄や
武器にも農具にも使える鉄はどのクニにとっても必要や

 

12: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:46:02 ID:LwF
知識が豊富()な歴史厨が今日も元気に語るスレ

 

14: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:48:18 ID:34a
クニ同士は必ずしも敵対関係では無いので交易で鉄だって手に入る訳やが、それでも直接大陸と交易できる奴国が優越的な地位を占めてた訳や
北九州以外の諸勢力は北九州の優位を切り崩すために手を組み始める訳や

 

15: 2019/03/04(月)19:48:35 ID:YsT
古事記では出雲にはアマテラス(神宮系列、おそらく大和政権)の弟のスサノオの子孫であるオオクニヌシ(出雲大社系列)が治めていたとあるけどわざわざタケミナカタを討っている辺り全く別の国が出来上がっていたと考えるのが普通よな

 

16: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:51:10 ID:Dlw
砂鉄から鉄を精錬できるようになるまでは朝鮮半島の鉄頼りだったから、その辺の外交には気を使ってたらしいな

 

17: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:51:44 ID:34a
紀元前1世紀の大きな動き、それが伊勢王権の成立や
伊勢といっても三重の伊勢やなくて近江南部の伊勢や
そこには当時最大の祭祀遺跡、伊勢遺跡がある
伊勢遺跡から発見されてる土器は東海や畿内、出雲や吉備のものまである
日本初の連合政権が早くも形成された訳や

 

18: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:52:56 ID:rcJ
イッチ前に邪馬台国の場所わかったンゴ!みたいなスレ立ててたひと?

 

19: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:54:29 ID:34a
じゃあ、伊勢王権の盟主はどこか?
出雲や
出雲の荒神谷遺跡なんかは有名よな?大量の銅鐸が出土してる遺跡
あの遺跡は伊勢王権樹立より前の遺跡やが、まあ北九州を除く勢力で当時一番力のあった出雲の首長が王になるのは自然の流れや

 

20: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)19:58:45 ID:34a
じゃあ北九州で最大の奴国と出雲が盟主の伊勢王権はすぐに戦争になったか?
どうやら最初は少なくとも全面戦争には至らなかったようや
その証拠に紀元後1世紀に奴国は漢から金印もらってる
両者が全面戦争状態ならそんな余裕は無いはずや

 

21: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)20:00:55 ID:Dlw
そういやこの時代にはもう項羽と劉邦の後なんやね
大陸は進んどるわ

 

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23: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)20:05:37 ID:34a
さて、2世紀前半に突入した頃に、いよいよ雲行きが怪しくなってくる
まず、北九州で伊都国が急激に勢力を伸ばして、奴国の覇権が揺らぐんや
それと同じ頃、伊勢王権の出雲王は漢に朝貢する
まだ戦争は始まってないので出雲王の使者は北九州を通ることも可能や
この出雲王の中国側の呼称が倭国王帥升なんや
でも出雲王は奴国と違って金印を貰えなかったんや
漢から正統性を認められなかったんや

 

24: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)20:07:23 ID:34a
これで出雲王の威信が揺らぐことにもなったやろし、それに止まらず伊勢王権自体、恥をかいた形になったわけや

 

25: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)20:09:07 ID:34a
これはついでやが、倭国王帥升が史書には倭国王帥升"等"となってるのは、連合王権である伊勢王権の盟主的立ち位置だったからや

 

26: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)20:10:40 ID:34a
北九州では奴国の覇権が伊都国に脅かされ、伊勢王権は金印を貰えず正統性を認められず
さあ、雲行きが怪しくなってきたで
そして2世紀後半、ついに大戦乱の勃発や

 

27: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)20:11:44 ID:34a
では続きは後ほど…

 

31: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)20:48:38 ID:34a
2世紀後半、中国の史書に言う倭国大乱の勃発や
引き金は奴国と伊都国の間で勃発した戦乱や

 

32: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)20:51:57 ID:34a
激しい争いの中で、奴国は伊勢王権と同盟を組んで、奴国も連合王権の一員になることを目指すんや

 

33: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)20:52:50 ID:qSZ
温暖化で定住しなければならなかったがために縄文時代が始まった

 

34: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)20:54:44 ID:34a
しかし奴国が伊勢王権の一員になるとすると必然的に問題が生じるんや
即ち、連合王権の盟主は出雲王のままで行くのか、奴国王こそ新たに盟主となるのか、ということや

 

35: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)20:59:23 ID:34a
奴国は当時は伊都国と並んで単体では最も力のあるクニやから、連合王権の新たな盟主となってもおかしくない
それに奴国王はかつて漢から正式に認められている実績がある一方、以前の出雲王中心の伊勢王権は漢から認められるのに失敗している

 

36: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:03:03 ID:Vvu
面白いな

 

37: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:03:53 ID:34a
真っ先に奴国王を新たに盟主にすることを認めたのは吉備や
吉備は伊勢王権参加勢力の中でも北九州に比較的近く、吉備の軍事援助は奴国にとってありがたい
奴国の王族は吉備にやって来た
この時点で伊勢王権は分裂状態に陥った

 

39: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:05:24 ID:srX
出雲連合王国はまだ?

 

40: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:12:19 ID:34a
吉備は出雲とも地理的に近いので、出雲との力関係を逆転させる野望みたいなものがあったのかもしれん
ちなみに、それまでの伊勢王権について説明不足だったので説明しとくと
出雲王は伊勢遺跡で祭祀などを行っていたと思われるが(祭祀遺跡が発見されてるので)、埋葬されるのは出雲の地や(伊勢遺跡に大規模な墳墓は無い)
出雲の住民が南近江の伊勢遺跡にやって来てた訳でもなく、大半は在地やったと思われるで(大規模な住居施設もない)
だから伊勢王権期の出雲の地がすっからかんなんてことはない

 

41: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:13:10 ID:I4z
誰やねんイッチ

 

42: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:15:05 ID:I4z
ちなみに日本は百済の亡命貴族が作った国やで

 

43: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:18:59 ID:KNn
なんや面白そうやんけ

 

44: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:19:53 ID:34a
まあとにかく、奴国王は吉備にやって来て吉備と手を組んだ訳や
下手をすれば伊都国に加えて伊勢王権の他の勢力(出雲・畿内・東海など)を両方敵に回して二方面作戦を強いられるかも知れなかったが
実際はむしろ畿内や東海の勢力も吉備に同調して、出雲王は孤立した

 

45: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:21:18 ID:34a
首長連合の盟主的立場はもともと他の不満を受けやすいだろうし、やはり朝貢の失敗が大きかったのだろう(成功実際のある奴国と比較して)

 

46: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:24:05 ID:34a
吉備にいた奴国王は同地で亡くなり、巨大な墳墓が造られた
これが楯築墳丘墓や
大きさは70m、当時としては最大の墳墓で、それまでの同地の首長墓とは隔絶した大きさや
出雲に対する恣意の意味もあったのかもしれん

 

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47: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:30:09 ID:34a
奴国の王族が新たに即位して、それを担いだ連合王権の他勢力は盟主の座を譲るように出雲王に迫った
出雲王は遂に同意した
ここにおいて、奴国~東海に至る大連合が形成され、奴国王は大和の纒向の地を新たに拠点にした

 

48: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:31:36 ID:1VW
それが国譲りってことなんか?

 

60: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)22:10:09 ID:34a
>>48
そういうことや
国譲りと東征は一応は史実を反映してるで

 

49: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:32:46 ID:XVH
倭国王帥升をググったら
奴国の王と同一人物説
末盧国説
伊都国説
はあったが出雲(伊勢)説はなかったンゴ
けど説得力はある気がする

 

50: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:35:21 ID:34a
纒向には東海や北陸、出雲や吉備など多くの勢力から人員が集った
もうここからは奴国王じゃなくて大和国の大王と呼ぶことにする
大和国の大王は伊勢王権体制よりは中央集権的な要素を強めた

 

51: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:37:40 ID:34a
2世紀末~3世紀中盤まで、纒向の地には最初の大王墓が次々と造られている
吉備の楯築墳丘墓と後の前方後円墳の中間形体のような纒向型前方後円墳と呼ばれる墳丘墓や
大きさは100m前後で、やはり当時としては最大や

 

54: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:49:21 ID:XVH
>>51
纏向で一番古い古墳からでた祭具は吉備系らしいで
吉備→纏向って上手いこと繋がっているな

 

52: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:42:01 ID:34a
ちなみに纒向型前方後円墳が大和で築かれるのと同時期に那珂八幡古墳が奴国の地で造られてる
これも纒向型前方後円墳の形をしている(大和のよりは小さいが)
ここからも成立したばかりの大和王権と奴国に残った勢力との関係の深さが伺える

 

53: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:48:18 ID:34a
そして女王が大和王権の大王となっていた頃(3世紀前半)、ついに伊都国も降伏して支配下に置かれた
そこで伊都国に一大率という監察機関が置かれる訳や
その女王の中国側の呼称が卑弥呼なのは言うまでもないな

 

55: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:51:22 ID:34a
けど逆に、成立した大和王権に不満の勢力もあったんや
これが狗奴国や
伊勢・尾張の辺りの前方後方墳勢力や
3世紀半ばの卑弥呼の死後も抵抗を強める訳や

 

56: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:55:12 ID:34a
卑弥呼の死後に造られた古墳が箸墓古墳や
およそ280mもある大きさはそれまでの大王墓とも桁違いの大きさで、ちゃんとした形の前方後円墳としては最初の古墳や
彼女の治世下に伊都国を降伏させて倭国大乱を収拾させたんやから相応の古墳や

 

57: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)21:58:41 ID:34a
でも卑弥呼の死後の男王は国を収めることができずに再び戦乱が勃発してしまったみたいやな
狗奴国は卑弥呼が存命の時からの反抗勢力やから、更にこの時は不満のある出雲や伊都国あたりも、反乱起こした可能性はある

 

58: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)22:02:15 ID:34a
でも新たに女王台与が擁立された時には乱は収拾されて狗奴国も降伏
彼女の古墳が箸墓の次の大王墓の西殿塚古墳や
ここにて大和王権は完全に確立や

 

59: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)22:03:36 ID:34a
おわり
卑弥呼以降は邪馬台国論争で散々言われてることだから蛇足やったかもな

 

61: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)22:10:14 ID:XVH
面白かったんこ

 

62: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)22:11:36 ID:34a
>>61
サンガツ

 

63: 名無しさん@おーぷん 2019/03/04(月)22:16:50 ID:34a
ちなみに当たり前のように邪馬台国=初期大和王権=畿内としているが
箸墓古墳以前の3世紀中盤までに奴国、吉備、大和が連合関係にあるのが那珂八幡古墳、楯築墳丘墓、纒向型前方後円墳から分かるし、大和だけ規模がダンチなので盟主が大和なのも確実
それでもって邪馬台国九州説唱えるのが無理筋すぎるので

 

引用元: 古代日本はどのように成立したか

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